tondokoro's willとんちゃんの遺言 

人生の楽しみ方を深く追求していこう!

良い人とは

私は平成最後の本日を持って、良い人っぽく生きることをやめる。

良い人と感じるのは他人から見た自分に対する感じ方であって

本来の自分のあるべき姿とは異なる。

良い人と思われて生きること。

そこに何の価値があるのだろうか。

そこには実は何もないと最近感じている

だから私は他人から良く思われるために生きることをやめるのだ。

 

人の評価に左右される人生はもううんざりである。

良い父親になる

良い社長になる

良い友達になる

良い旦那になる

・・・・・

そう思うこともやめた。

なぜならば、それを決めるのは自分ではないからだ。

つまり、他人が決めることに左右されない生き方をすること。

私は誰の物でもなければ、

私が誰かを自分の物にする必要もない。

自分の子供でさえ自分が思うようにできる存在ではないのだ。

ただ言えることは私は誰も傷つけたくないし、

誰からも傷つけられたくない。

人と人の距離は腹六分目くらいがちょうど良いと言われている。

その距離感こそが、人と人が長い間付き合っていくにはちょう良い。

 

良い人になるのではなく、

ちょうど良いくらいの距離感をもって互い接することができる人になる。

地味な生き方かもしれないが、

それが人生を充実して生きていく最大のコツなのかもしれない。

なぜそんなこと最近思うのか・・

それは私が

感情が理性を支配するような生き方だけはしたくないと思うからだ。

感情を抑える理性を兼ね備えてこそ自分の成長に繋がっていく。

まさにレベルの高い境地と言えるかもしれないが、

実はそれが一番気楽な生き方なのかもしれない。

でも気楽に生きるってそんなに簡単にできるもんじゃないね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岐路

昨日は法人会青年部会の総会があった

ここでしか会えない人と会えるチャンスがある場所

今回は懇親会締めの挨拶をやらせてもらった

自分の法人会に対する優先順位をあげていく話をした

その会を楽しくさせるのは自分次第という話もした

私のひとつの目標として

今年度は昨年より少しは多く参加してみよう!

 

限られた時間の中で

どんなことにその時間を使っていくか

その使い方次第で人生は変わる

常に自分を成長させるために私はその時間を費やしたい

だから色んな人と会って話しをしたい

そこから何かが必ず生まれる

自分の視野をもっと広げていこう!

そう決めた人生だからこそ

だから

もう過去に囚われる人生に終止符

 

 

 

日常五心

日常五新(大愚和尚のYOUTUBEより)

 

はい!という素直な心

おかげさまで!という謙虚な心

すいません!という反省の心

私がします!という奉仕の心

ありがとう!という感謝の心

 

素直 謙虚 反省 奉仕 感謝

 

これは日常の中でもっと大切であって

もっとも忘れやすい・・・

これがすべて実行できるような人になりたい

まさに日々弁勉強である

 

人生のゴール?

未来を恐れず

過去に執着せず

今を生きろ!

 

数年前にホリエモンがある大学の卒業式で言った言葉である

いい言葉である

 

とかく人は

未来への不安を抱き

過去のことをいつまでも引きずり

今をちゃんと生きることができない

 

しらないうちにどんどん時は過ぎていく

気づけば私ももう48歳・・・

人生の経過する速さを実感すると共に

これからもっと加速していくのは間違いない

あっという間に人生が終わることは間違いない

 

人生の終わりをゴールとするならば

我々はそのゴールのために生きているわけでなはない

死ぬために生きているわけではない

私はもっと違うゴールをつくっていかなければならない

まだまだ限られた時間を有意義に生きなければならない

何のために自分がこれから生きていくのかを

それを改めて考えてもいいのではないか

私には人生においてこれといったビジョンはないが

自分が残りの人生どうあるべきかを知っている

それを実現するために

いつまでも夢をもって

その夢にむかって挑戦できるような人間になりたい

そのために・・・・

 

未来を恐れず

過去に執着せず

今を生きろ!

 

そう胸に刻んで生きよう!

 

 

人生とは仕事である?

会社だけの人間になるな!

人生を楽しめ!

色んな人と会え!

世界を広げろ!

そういう積み重ねが良い仕事をつくる!

 

昨日放映のドラマ 「わたし、定時に帰ります」

で主人公が会社の社員研修で学んだ社長の言葉。

 

なるほどね!

昔と今では仕事のあり方は

ここ数年でずいぶん変わってきたけど

仕事の根本は変わらない

私はそう思っている

働き方改革といわれる世の中で

これからを生きる日本人がどうなっていくのか・・

どんな改革であろうが

仕事への直向な気持ちだけは忘れてはならない!

そう感じる今日この頃である

幸せになりたい?

人はどうしたら幸せになれるのか

そんなことを誰しもが考えたり

自分の幸せについて考えてみる

その答えはどこにあるのか

それは正直わからない

昔、ブルーハーツ甲本ヒロト

幸せを手に入れるんじゃない

幸せを感じることのできる心を手に入れること

という言葉を語った

これは幸せのあり方が

どうあるべきか非常にわかりやすい言葉だ

であるとするならば

幸せは常に自分のすぐそばにある

何をもってすれば幸せを感じるのか

たとえば大好きなカップラーメンを食べたとき

それだけで幸せを感じることができる

好きな人と話をする

それだけで幸せを感じることができる

ちょっと考え方を変えるだけで

幸せは我々の日常の中にたくさんある

生きていれば嫌な事だってたくさんある

しかしそれ以上少しでも幸せを感じれれば

プラスマイナス0もしくはプラス1くらいになれば

それはそれでいいんじゃないくらいの生き方

そんな生き方がその人にとって実は真の幸せだったりする

だから私は幸せの定義を敢えてつくる必要はないと感じる

結婚すれば良いこともあるかもしれないが

実際、そんな良いことばかりあるはずもない

結果プラスマイナス0もしくはプラス1

であれば御の字じゃない?

結婚して幸せを手に入れたい・・・

そんな言葉 私にはちょっとチープに感じる

どんな状況であれ境遇であれ

ちょっとした日常の中に幸せを感じたい気持ち

そんな気持ちを持つことが人間の生きる喜びなのではないか

だから私はお酒がやめられない・・・笑

究極は人の幸せを願える心を持つこと

その話はまたいつか・・

 

 

正直者は世間知らずのバカ野郎

この世のほとんどは嘘である

この嘘だらけの世の中から本物を見つけていかなければならない

これぞまた人生ゲームの醍醐味である

先日あまりにも正直な私の健康診断書を保険会社に提出してしまい

結果私の会社に大損害を与えてしまった

私の健康診断書は高度な人間ドックの結果がそのまま書かれていたため

体の隅々細かいところまですべて結果が書き記されており保険会社では

完全アウトとなってしまい保険金の掛け率がかなり上がってしまった

ごく普通の保険会社用のそこらへんお医者さんの健康診断の結果であれば

100%問題なかった結果だったものが

こと細かい診断結果ではアウトということになる。

つまりほぼ私のような健康な人でも超最新精密検査の結果となれば

半分病人扱いアウトということになる

体に全く問題ない人なんてそんないるわけがない

まして40代後半から50代にかけては何かしら体に問題ある

それは普通の健康診断だけでわかるはずがない。

逆を言えば私の診断書は体の中にがん細胞や今すぐ何か悪くなうような

結果などないことを見事に証明しているもっとも信頼できる診断書なのだ

 

それに気づかない保険会社は無知である

保険を通すために作成された

そこらへんの町医者の簡単な診断結果を信じる

保険会社こそこの世の嘘を社会に撒き散らしている存在のひとつなのだ

 

正直者がバカをみる

ほんと私はバカだった

無知だった

あんな診断書を出すべきではなかった

嘘つきには嘘で勝負するべきだった

 

世の中の本物を見つけるって大変なことだ

またひとつ勉強になった

レベルアップ!

人を簡単に信用してはいけない

 

 

 

人生ゲーム

 

人生はゲームみたいなもんだ。

プレイヤーは自分

自分のコントロールキーを使って

自分自身を動かしていく

ファイナルファンタジーより壮大?なロールプレイングゲーム

しかしゲームには目的を達成させる必要がある

すなわちそのゲームを最終的にクリアするためには

目標は自分自身が設定させなければならない

すなわち何に向かって自分は生きてくのか

そこに向かうにはどう生きるべきなのか

つねに迷い葛藤しその節目にある答えを見出し

次のステップに進んでいく

そこには苦しみもあれば楽しみもある

苦しみだけでは人間は生きられない

楽しみだけでも人間は生きられない

つまり苦しみと楽しみは表裏一体なのだ

ゲームでいうならば自分をレベルアップさせていかないと

次のステージにはいくことができない

そんな面白さこそがゲームである

だから人生はゲームみたいなもんだ

というより

ゲームのように生きるべきである。

最終的に自分の人生が終焉を迎えるとき

そこに微塵たりとも悔いのないものと言えるか

精一杯生きたと言えるのか

まだそこにたどりついていない私は

まだゲームの途中である

自分のレベルが今いくつかはわからないし

自分の立っている位置が正しい場所なのかもわからない

ただひとつ言える事は

このゲームを楽しむことだけ!

楽しくやるからこそどんな困難が待ち受けても

人間は再び楽しく生きようと無意識に行動していくもの

まずは自分の今立っている場所はしっかりと確認し

次に右にいくのか左にいくのか決めていくこと

もしかしたらゴールはひとつだけではないかもしれない

この人生ゲームに同じゴールはどこにもない

自分の心ひとつでゲームは進展していく

これほどのゲームを楽しむことは

50近くのおっさんでもまだ遅くはない

この命果てるまで何かを成し遂げるために

今この時間を一番大切に生きることが

このゲームの必勝法であるのは間違いない

 

社会のなりの果て

今の芸能界、不祥事を起こせば

たとえ容疑者であっても

その人が出演したテレビ番組、映画

音楽アーチストであれば

CDやDVDなど

あらゆるものが放映中止になったり

販売禁止になったり

全く持って世知辛い世の中となった

これを昭和時代に適用するとなれば

どれだけの人が制裁を受けたことになるか・・・

その容疑者のCDが回収、放送禁止するのであれば

ビートルズの作品は全部回収されることになる

彼らの音楽もまた覚醒した中で作られているものが多い

しかし彼らがドラッグで捕まっても作品が非難されることはなかった

というよりロックそのものが反社会的だったはずなのでは・・?

そこが社会という名の矛盾

 

何か事を起こせば、なんでもかんで自粛規制・・・

いったい誰がこんな社会の風潮をつくりあげているのか

不倫をすれば世間のさらし者。

ドラッグをやったことが判明すれば、昨日の友は今日の敵

不倫?他人の不倫など私には興味がない

その家族や子供が可愛そうなだけ。

ドラッグ?そんなの使用した人の問題

社会が使用したその人の家族や子供まで追い込もうとする

社会がここまで制裁を加える必要はない

社会ってそんなに偉いものなのか?

ただの話題集め

誰かの利益にするために

利用され続ける著名人

司法よりも国民の意識を煽り

その感情で、その人の罪をより重くする

更正させることよりも攻撃すること

なんか面倒な世の中になってきた

著名人に関わらず

誰しもが息のつまりやすい世の中になってきている

人間は押さえ込もうとすればするほど

本来あるべきものの逆のベクトルに向かう

自分は大丈夫!

ふっ!明日はわが身

 

 社会の風潮に惑わされることのない

生き方がしたい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

changes

三つ子の魂、百まで!

この社会の中で

人を変えようなんて大それたことは私にはできない。

生まれ持った性質、価値観、能力、やる気、本気・・・

もしそれを変えられるとしたら、

それは己のみである。

私は人を変えたいと思うくらいなら

自分を変えることに集中するようにしている。

だから敢えて100歩譲ることもある。

だまって見守ることもある。

感情と理性。

仕事は感情に流されることなく、

一歩踏みとどまって、考え、理性をもって行動に変えること。

相手にとって一番大切なことを想像してみる。

世の中完璧な人間などいない。

時には失敗や挫折することもある。

しかし失敗や挫折ばかりが人生ではない。

必ずいつかその人が成功し輝ける時が来る可能性もある。

その芽を今摘んではならない。

自分を変えたいと思うときこそが本当のチャンス。

そこに賭けてみる経営を私は目指す。

だからこそ自分が色んなことを学ばなければならない。

 

 

 

うらはら

うらはら・・・

裏腹・・・

 

世の中うらはらだらけ・・・

米朝首脳会談?とんだ茶番劇だった。

どっちが勝った?っていうより、

北朝鮮が核の施設を排除するなんて最初から可能性0。

北朝鮮は武器を作って自国のため、

中東のために武器を輸出して何ぼの国である。

ある人たちにとって北朝鮮みたいな国はなくてはならない存在。

その最大の理由は戦争は金になるからだ・・・未来永劫。

だからこの世界から永遠に戦争がなくなることはない。

戦争をなくそうとすることは必要なことではあるが・・。

 

我々の身近な社会の中でも

うらはらはあちらこちらに・・・

すべてがそうだとは言わないが、

うらはらでしか生きられない社会システム。

 

しかしいつしか、うらはらのない人生の時を過ごすことが

私の最後の夢である。

 

 

線香花火

時の流れと共に友達は変わる~という歌がある。

真心ブラザースのデビューアルバムに入っている曲。

もう30年前くらいの曲だ。当時よく聴いていた。

あれから30年。

本当に時の流れと共に友達は変わっていくものだ。

 

人と人のつきあいは

まるで線香花火のようなものだ。

最初はゆっくり・・・

ゆっくりと火花がつきはじめ、

徐々にその火花は強くなり光が増す。

そして仲良しまっしぐら!

やがて時間が過ぎれはどんどん火花は弱くなり、

その関係も徐々に冷め、距離が生まれ

最後は地面に落ちて消えてなくなる。

つまり最後は別れ行く。

 

私は人の付き合いってそんなものではないかと思う。

冷めた見方かもしれないが

この世に不変的なものなど何一つないということ。

出会いがあればいつか必ず別れがくる。

これを当たり前と思えば、

人生というものをまた違う角度から見ることができる。

ただ、今、そこにいるあなたを大切に思う。

過去にも未来にもとらわれず、

ただ目の前にいるあなたを好きと思える。

それこそ

今を生きてる!って感じ得る唯一の手段。

これは恋愛の話ではない。

人間社会を生きて行く上で大切なこと。

来るものは拒まず、去るものは追わず

時の流れに身を任せ

今そこにいる人たちと何かを成し遂げる。

出会いがあれば別れもある。

時の流れと共に友達は変わる。

この世に永遠なんてものはない。

 

 

 

 

生きる意味

感情のままに経営するといつか破綻する。

そこに理性と知性を組み合わせない限り経営は不可能である。

だがしかし人間は感情に流されやすい生き物である。

そんな時私が己を律するための言葉がある。

自分が人にされて嫌だと思うことを自分は人にしない・・・

かなり深い意味こめられているが、

人間社会を生きていくためにはこれが重要である。

すなわち想像力である。

 

人間は感情の生き物であると同時に

倫理や道徳を学ぶことができる唯一の生き物である。

人として何が正しいことなのか。

それを学ぶために日々の生活が存在する。

 

 

生きるとは決して簡単なことだけじゃない。

 

 

炎上なんて関係ねー!

最近ネットでよく炎上という言葉が使われている。

調べによると炎上は日本の人口あたり3%弱くらいの人が

批判すると大炎上というそうである。まあ日本の人口1億人として

300万人程度くらいしか批判していない。

残りの9700万人は特にネットで批判していない。

わずか3%で世論が動くとは本当に恐ろしい世の中である。

そんなことに惑わされず生きることが大切である。

他人を間接的に批判しても、何の意味もない。

ましてネットなど、誰でも好き勝手言える。

無責任がまかりとおる時代になった。

ある俳優が1回罪を犯しただけで

ネットの力でその俳優一生抹殺することが出来る時代なのだ。

ある音楽アーチストがプライベートで不倫疑惑を持たれただけで

引退を余儀なくされる時代なのだ。

本人が罪を償い、また公の舞台に復帰できる社会。

そんな日本社会であってほしい。

日本人の義理人情はどこにいったのだろうか。

わずか3%の人間が日本をいつしか食い潰す。

 

 

 

 

経営

経営の経は仏教の中では真理を表すという。

つまり物事を考える軸となる経糸なる存在、

その代表となるのがお経ということになるであろう。

それは別と考えても、経営の意味とは何か。

文字通りに読み解けば

経営とは経糸となる軸を中心とした営みということになる。

つまりに、真理を全うするための営みというもの。

もっと簡単にいえば、

何を重んじて、どう生きるか・・・

これは私の発想であるが、仕事の経営で言えば、

何のために人は働くのか。

会社で言えば、企業理念を縦軸として、

経営理念を横軸と考え、どうそこに糸を織り成すかということである。

糸がうまく織り成せば布になるが、逆に糸が絡み合ってごちゃごちゃに

なってしまえば何もそこには生まれない。

企業理念は大きな柱で、

経営理念はその柱に絡み合わせて編み出すもの。

そこに人として生きがいを見出す。

それが仕事または使命というものかもしれない。