tondokoro's willとんちゃんの遺言 

人生の楽しみ方を深く追求していこう!

縁を生かすも殺すも自分次第

昨日の夜は久々に映画を見た。

映画といっても自宅のプライムビデオ。

クイーンのボヘミアンラプソディー。

映画館にも見に行ったが、

家で見るのは初めてかな・・。

改めて見て思うことは、

このクイーンの4人が出会ったことが、

偶然なのか必然なのかということ。

この4人でなければクイーンというバンドは成り立たない。

それが大前提なバンド。

ひとり欠けてもクイーンと言えない。

そんなバンドはそう滅多にない。

ほとんどのバンドがメンバーチェンジしたり、

解散したりしているが、

このクイーンだけは一度のメンバーチェンジもなく、

かつ解散という話はいまだに聞いたことはない。

非常に特殊なバンドであり、

音楽性もまた独自性があり、

他のバンドが真似できるような品物ではない。

私も高校生の時にクイーンにどっぷりハマり、

いまだに聴き続けている音楽のひとつである。

 

さあ、話を元に戻すと、

このクイーンの4人の出会いは、

偶然だったのか、必然だったのか。

私は必然であったと考える。

仏教の世界では、

出来事にはすべて原因があるとされている。

出来事は原因によって持たされた結果であり、

その結果が次の原因となり、

また新たな結果を生み出していく。

これを仏教の世界では因縁という。

縁とは目に見えるものではないが、

もし見えるとするならば、

それは人と人の出会い。

過去の祖先の時代から

様々な出来事の結果が組み合わせって、

自分という存在が生まれてきた。

これこそコンピューターでも解析できないほどの奇跡。

どれだけの条件が積み重なって、

自分という存在が生まれてきたことか。

この奇跡に、さらに奇跡を組み合わさって、

人と人の出会いが生まれる。

今自分の周りにいる人達との出会いはすべて、

奇跡の産物ともいえる。

しかしそれを私たちは奇跡と呼ばず「縁」と呼ぶ。

縁があったからこそ出会うことができた。

 

人との出会いをすべて偶然の産物として捉えるよりも、

生まれた時から人間は宿命を背負い、

それが縁によって結ばれていくという考えの方が、

私にはピンと来る。

必ず人は出会う人に出会えるように、

あらかじめこの世の中はできている。

そう考えた方がどこか合致できる。

その根拠が必ずあるとは言いきれないが・・。

 

クイーンというバンドの楽曲の数々。

これは偶然生まれたものではない。

あの4人の必然的な出会いが約束されていたからこそ生まれた音楽。

そう考えた方が自然に感じる。

 

そして自分の人生においても考えてみる。

今、ここに存在するすべてのものは縁があってのこと。

決して無駄なものは一つもないのかもしれない。

しかし縁というものはまるで生き物みたいなもので

生かすも殺すも自分次第。

宿命は変えられないが、

運命は変えることができる。

運命を変えるには自分自身が、

人との出会いや縁を自分の人生にどう活かすか。

そこがすべてではなかろうか。

だからこそひとつひとつの出会いを大切にしてみる。

昨日はじめて名刺交換した人が、

もしかしたら将来、

あなたの人生を劇的に変える可能性がある人かもしれない・・。

すべては人からはじまる。

さあ、まずは心を開いてみよう!

 

昨日の1枚


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夕方の大山が綺麗。近々必ずそこに行きますよ!

なりたい自分になるために今日をどう生きるか

先日のブログで、

武井壮が毎日やっていることのひとつに、

テクニカルというものがあるということを書いた。

この言葉が私の中にずっと引っかかっていて、

私がこの年になって感じることは、

私はテクニカルというものをさほど、

追求してきてこなかった人間だったということ。

どちからと言えばテクニカルというより、

自社独特の経営手法を実践しながら生きてきただけ。

これって他の会社にもし私が就職したとしたら、

全く役にたたないものかも・・。

自分の会社でしか通用しないことを、

ずっとやってきた感覚。

そんな自分を今更であるがいまいち納得できない・・。

なんでもいいから技術さえ身に着けていれば、

どこに就職したとしても通用する。

それが私にはできない・・・。

それだけ私は井の中の蛙なのかもしれない。

 

今更ではあるが、

何でもいいから技術的なものを習得したいと、

最近さらにその思いが強くなってきた。

特に思うのが英語。

この英語だけは私の人生において、

どうしても身に着けたい技術だと思っている。

このブログでも英語を学びたいことは、

ちょくちょくと訴えてきたが、

なかなか前に進んで行かなかったが、

最近、毎日少しでもいいから、

英語に触れる機会をつくるよう努力をしている。

英語に限らず、

自分がなりたいもの、

技術的に身に着けたいもの、

それを着々と進めていくこと。

今自分の頭の中にモヤモヤしていることを、

少しずつ形に変えていくこと。

そんな時間を毎日少しでもいいからつくって実行していく。

仕事も大事だが、

それ以上に大切なものに時間を費やす。

それが自ずと仕事にも生きてくる。

この法則だけは経験上間違いない。

私が英語を学ぶことにも、

必ず私にとって意味と意義がある。

だから何としても英語だけは

ずっと勉強していきたい。

そもそもなぜ英語なのか・・・。

それはいつか海外で生活したいという思いが、

私の心のどこかに存在しているからかもしれない。

だから今日、今できることを着実にやっていく。

もっと勉強する時間をつくっていきたい。

この毎日ブログ更新も、

私のひとつの勉強の一環である。

 

昨日の1枚


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秦野RC例会に参加。

他クラブへの出席は非常に刺激があって面白い!

 

 

 

意見が違っても話し合えば妥協点が見つかる

自分の意見を主張する。

これはとても良いこと。

自分の思っていることを相手に伝える。

これは間違っていない。

しかし、それと同時に相手の意見も聞いてやること。

たとえ相手が自分と違う意見があっても、

それをまずは受け入れること。

人それぞれ生きてきた環境が違えば、

意見や考え方も違って当たり前。

よく私のような仕事をしていると、

自分の意見ばかりを主張して、

相手の意見を全く受けれない人も中にはいる。

そういう人と話すと、

もう二度とこのような方とは話しくないなと思ってしまう。

いわゆる人間の器・・・。

相手の思いや意見をドーンと受け入れてやるくらいの器量が大事。

なぜその人がそういう風に考えているか。

なるほど!こういう考え方もあるのかと納得する時もあれば、

あきらかに何か大事なことに気づいていないのかってこともある。

これは逆の立場になったとしても同じ、

自分が今まで気づかなかった部分を気づかせてくれることもある。

 

例えば日本を良くしたいという共通な思いが両者ともあるとする。

しかしその良くするための思考や手段がそれぞれ全く違う。

政治的に言えば、左派的立場と右派的立場ではまるで別物。

与党は政治を動かす主流となり、野党は傍観者的立場となる。

しかし本来であればそうであってはいけない。

特に日本の政治は現在、自民党が主流であり、

あまりにもその他野党の力があまりにも弱い。

これでは日本の政治力を根本的に底上げすることはできない。

政権をとらなければ意見が反映されない日本の政治。

だから日本の政治は、相手の揚げ足とりばかり。

与党のスキャンダルを見つけては国会の本会議で、

野党側はそれを糾弾して窮地に追い込むために多忙な時間を消費する。

そして相手にダメージを与え政権を奪取しようとする手法・・・。

正直そんなことばかりに力を注ぐ姿を見てると情けなくなる。

もっと他に議論すべき課題はたくさんあるんじゃないの?

政治は数の世界。数の多い方の意見が通る。

しかしもういい加減、このコロナ騒動を機に、

超党で日本を良くすることをもっと真剣に考えるべきじゃないのか。

もう政治ごっこはやめてもらいたい。

あんなに優秀な国会議員がこの様では情けない。

与党が正しい、野党が間違っている、

そんなことはない。立場が逆になれば、逆もまたしかり。

結局そこに答えがない。

例えば、夫婦別姓・・

賛成意見もあれば反対意見もある。

それを決めるのは政治家なの?

これを決めるのは本当は国民でしょ?

そこを置き去りに国会議員が政治をしている。

そして政治家を選ぶ権利のある国民さえも忘れている。

何のために我々は選挙権を持っているのか。

それはこの国を少しでも良くするためではないのか。

そもそも選挙にも行かないで、

文句ばかり言っている国民は愚直。

話にならない。

だったら、

政治家に頼るだけでなく、

自分の力でできることを探す。

この日本が、

そしてこの世界が

少しでも良くなってほしいと願うのであれば・・。

 

今自分がすべきことを成していく。

それが希望のある未来をつくっていく。

 

今日の数枚


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先週、近隣市の公園を2時間程歩いてきた。

たまには違う場所を歩くのも新鮮。

 

 

 

 

 

 

日本の教育の在り方を変えたいね!

昨日はロータリー事業に参加。

奨学生オリエンテーションに参加。

ロータリーは自分が将来やりたいことに向かって、

海外留学を目指す学生の支援をしている。

昨日は過日の面接試験等で合格した学生と、

過去にロータリー奨学金制度を利用して海外留学した人達が集まり、

様々な情報交換が行われた。

こういう光景を見てると日本の将来が少し明るく見えた。

 

私はもっと子供の個性を活かしたり、

自分がやりたいこと、夢中になることを、

もっと学校教育の中で伸ばしていけるような、

教育改革が必要だと感じている。

日本の教育スタイルって、

私が子供の頃とほとんど変わってなくて、

みな同一に読み書きや足し算を学ぶのが基本。

いわゆる詰め込み方の教育は今もなお健在。

教えている先生も、

子供に人生の意義を教えれるほどの器量もなく、

新しい観点からの教育などできない。

すべては国の教育方針に従って、

それをコピーして子供たちに教えているだけ。

今の時代、

先生が授業で教えることなんて、

ネットの世界で全部調べることができる時代となった。

いや先生以上にネットの方が、

より分かりやすく子供たちに教えてくれるのかもしれない。

人生をどう生きるべきかさえもネットが教えてくれる。

今の世の中、すべてのHOW TOは,

ネットを利用すればわかるようになってきた。

英会話しかり、なんと最近では魚のさばき方まで・・・

YOUTUBEを見ればすべて学べる時代になってしまった。

それはそれでいい。

じゃあ、なぜ学校まで足を運んで、

そこで何を子供たちは身に着けなればならないのか。

勉強のやり方はいくらでもあることを先に述べた。

学校じゃなくても学べる場所はいくらでもある時代。

集団生活を学ぶ?

確かにそうかもしれないが、

それが本当に必要な社会とも最近は言えなくなってきた。

これだけのネットワークが発達し、

パソコンひとつあればリモートでも学べる時代。

まさに通信教育ってやつ?

じゃ一体学校に行って何を学べばいいの・・・

日本の教育は最先端を行ってるなんて時代はもう遠い過去の話。

海外留学ひとつとっても、

中国が日本の10倍以上多い。

今後、教育面でも中国に大差を付けられる可能性がある日本。

今後の学校教育の在り方次第で、

この国の未来が左右されていく。

だからこそ、もっと子供ひとりひとりの個性を活かすような教育。

専門性に突飛した教育。

世界の最先端をいけるような教育の在り方。

こういった今までと全く違う視点からの教育。

そういった創意工夫こそが、

日本の未来を変えていくし、

世界のトップレベルを行けるような、

そんな期待を私はしている。

だから子供YOUTUBERがいてもいいんじゃないの?笑

 

昨日1枚


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オリエンテーションの様子。

ひとりひとりの思いが世界を変えていく。

 

 

 

自分を動かすためのエネルギーを手に入れる

毎日自分史上最高。

 

これは百獣の王、武井壮の言葉。

毎日少しずつでも自分を成長させていくこと。

そこにフォーカスを当てていけば、

毎日が楽しい人生を送ることができるという。

そのために彼が必ず毎日1時間ずつやっていることは、

 

フィジカル

テクニカル

スタディ

 

この3つだと言う。

日本語で言えば、

体を鍛えて、

あるものに対しての技術を磨き、

わからないことがあれば勉強して覚えて

自分の言葉として伝えることができるようにする。

この3つを毎日少しずつ積み重ねることによって、

毎日自分史上最高と言えるようになるいう。

非常に納得できた。

納得できたからこそ、

私も彼を見習いたいと思って、

私も私なりに毎日続けられるものを探してみた。

その結果、

現在、私が毎日続けているのは、

2万歩とブログ。

この2つだけはもう結構続いている。

それはそれで良い。

私にとって様々な効果をもたらしている。

しかし、これだけじゃまだ何か自分に物足りなさを感じている。

もっと自分にはやれることがある。

まだどこか手を抜いている自分がいる。

もっと自分を成長させたい。

もうひとつもふたつもステップアップしたい。

そんな思いが常に頭をよぎる。

もっと色んな経験をして、

もっと色んなことを学んで、

もっと何かに挑戦していく。

その気持ちだけは絶対忘れないようにする。

まずは何事も一生懸命やってみる。

例えば、

下手なゴルフも、

どうやったら少しでも上手くなるか考えてみる。

そして実践してみる。

そんなちょっとしたことでも、

真剣に取り組んでみる。

年なんて関係ない。

この肉体が動かなくなるまで、

挑戦し続ける姿勢。

その姿勢さえ手に入れることができれば、

人生は楽しくなるはず。

 

人生にゴールなどない。

これで終わりなんてものはない。

命ある限り走り続ける。

そのためのエネルギー!

自分にとってエネルギーとなるもの。

その存在を手に入れることが大事。

 

あなたにとってのエネルギーとなるものは何ですか?

あなたを動かす衝動は?

 

昨日の1枚


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コミサポ定例会に出席。

色々大変だが皆さん頑張っていらっしゃる。

コロナだけが本当にそんなに怖いものなのか?

今年はまさに新型コロナ一色みたいな年だ。

終息する気配もしないし、ワクチンもまだできないし、

最近はまた感染者が増えている傾向にある。

日本は欧米に比べれは感染率は非常に低い。

それなりに国が対策を講じているのと、

日本人という国民性が感染率を抑えこんでいる。

にも関わらず毎日マスコミは、

感染者数が増え続けていく情報を伝え、

国民に恐怖を煽らせている。

でも正直、増えてもしょうがないでしょ!

普通に経済を回していれば増えて当たり前。

これは私の意見だが、

コロナより経済の動きに制御をかける方が、

よっぽどこの国にとって危険である。

コロナばかりに気をとられ、

それ以上に国民の命を奪っていくものはたくさんある。

例えばガン。

日本の1日あたりのがん患者死亡者数は約1000人。

1日あたりのがん羅患数は約2700人と言われている。

これはコロナの比ではない。

実際、コロナの影響で医療の崩壊の波が続く中で、

がんの発見が遅れ、軽症な患者が助からないケースもあるという。

本来、目を向けなければならないことに目をそらして、

コロナは怖いというバイアスだけを国民に植え付ける。

それによって、

会社を倒産させざるを得なくなったり、

ならなくていい病気になってしまったり、

死ななくてもよかった命が自ら絶たれたり、

そういうところの被害の方が私はよっぽど怖い。

なんでもかんでも中止や規制??

公共のイベントなどはほぼ中止状態。

これだけ恐怖を煽ればみんな何もやりたくなくなるのは当たり前。

これが日本の国民性のひとつの表れ。

だから他の国により面積比における感染者数が少ない。

これで良いと果たして言い切れるのか。

様々な視点からコロナ禍を見ていかないと、この国は今後危うい。

誰だってコロナになんかなりたくない。

しかしいつ誰がなってもおかしくない状況。

コロナ患者への偏見や差別は間違いなくある。

まさに人種差別の再到来・・・。

もうコロナにかかっても、

インフルエンザにかかったくらいに思うしかない。

インフルエンザでも多くの死者が出ている。

コロナとそう変わるものでもない。

コロナを恐れずに、どう自分は生きるか。

その答えをそれぞれが見出していけばいい。

私は自分の免疫力を高めるような行動を今後も行っていく。

 

今朝の1枚


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日の出が時間が日に日に遅くなってきた。

歩いて体温をあげることも免疫力を高めてくれる。

ワイドショーという名の虚飾な世界観

最近改めて気づいたこと。

それは主要な民放テレビ局のほとんどが、

朝から夕方までほぼすべて、

ワイドショー番組をやっていること。

(今頃気づいた・・・・笑)

しかも朝、昼、夕方、それぞれに番組があること。

まあほぼ同じ話題、同じようなネタ。

どのチャンネルひねってもそれは間違いないだろう。

(見てはいないけど想像がつく・・)

これを見てる視聴者の大半が、

主婦層や高齢者など、

社会に対してある意味において影響力がある人。

それにしてもこれだけ番組があれば、

ちょっとした著名人の失態でもすぐにネタにされる。

そしてコメンテーターに批判される。

本当に著名人にとってこの社会はある意味、

生き地獄みたいなものだ。

これじゃ山ピーじゃないけど外国進出したくなるはず・・。

ここ数年でどれだけの芸能人が、

テレビに出なくなったり、引退したり、そして自殺したことか・・。

これは間違いなマスコミの報道が過激になっていることが、

ひとつの要因となっているのは間違いないと思う。

先日、ハンドボール選手の宮崎大輔氏が暴行で逮捕されたが、

結果、そういう事実はなく不起訴となったらしい。

これも逮捕されただけで、

そういう事実がまるであったかのように伝えるマスコミ・・。

そして宮崎氏の素行を非難するコメンテーター・・。

たとえ不起訴になっても宮崎氏に対する印象度は、

天から地へ落ちた。

すでに宮崎氏へのバイアスは国民から取り除くことはできない。

これがこの社会で最も恐ろしいこと。

彼は酒飲んで酔っ払って女性と揉めた男・・。

そんな男、どこにでもいるような・・・

しかし彼のそのイメージは一生残る。

たとえ不起訴であっても・・。

彼が今までどれだけハンドボールを広めるために貢献してきたか。

そんなことは過去に置き去りとなる。

 

もはやある意味で去勢された芸能人しか生き残れない時代。

昔は夢のある職業として憧れの的だった芸能界。

今じゃ、いい子ちゃんしか生きられない厳しい時代となってしまった。

今後益々、テレビからネットの世界に移行する芸能人が増えていくのは間違いない。

 

今朝の1枚


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久々のコメダ

舌手術してから2回目の朝食。

まだまだ痛いので、

いつもの5倍以上の時間でパンを食べ終えた。

食べることもリハビリの一環らしい。

 

ノータイムポチリ再び!

友人の薦めもあり、

ノータイムポチリの精神で、

私の長年の悩みとなっていた、

いびきや無呼吸症候群を治す手術を行った。

結果、見事に成功??

というよりも、私の上気道は術前よりも確実に拡大していた。

鼻腔も明らかに拡大したことが実感できるくらいの変化。

空気の吸い込み力が術前の1.5倍くらいになった感じ。

さらに嬉しいことに、首周りのコリがなくなり柔軟に!!

これできっと私の長年の悩みは解決することだろう。

しかしながら、これからのリハビリがもっと大切らしい。

約1ヶ月間、きっちりとリハビリをやって、

完成形を目指していく所存である。

このきっかけを作ってくれた友人に大感謝すると共に、

ノータイムポチリという精神を私に教えてくれた、

小野裕史氏とYOUTUBERのマコなり社長にも感謝である。

 

それにしてもこのノータイムポチリの効果は凄い。

何が凄いのかというと、

人に考える機会を与えない所。

ノータイムポチリとは何か簡単に説明すると、

ネットの決定ボタンを深く考えずにポチリと押してみる感覚のこと。

簡単な例で言うと、

フルマラソンの参加申請ボタンがあるとするならば、

ほんの少しでも挑戦したい気持ちがあるなら、

とりあえず押してみる。

ただそれだけ・・・。

あとのことはあとで考える。

これって私のような行動力のない人間には最も効果がある。

だいたいの人が、何かをやろうとする時、

色々考えた挙句、やっぱりやらない人が圧倒的に多い。

結局、いつかやろう!なんていう「いつか」など来やしない。

そう思って生きれば、今やれることだけをやればいい。

そういう発想に変わっていく。

もし私がフルマラソン出場のボタンを押してしまったら、

どうやったら完走できるかを考える。

そして今できることを考える。

今日は5km走ってみよう!

今日は1km延ばして6km走ってみよう!

これが物事を進めていく基本ではないかと思う。

 

とにかく自分の意思で決めたことに向かって、

一歩一歩進んでいく。

これこそが人生をより楽しくするコツではないだろうか。

さてあなたはどんなボタンをこれから押していくのだろうか。

もし何もやりたいことが見つからなければ、

とりあえず何でもいいから、

今あなたの目の前にある決定ボタンをポチリと押してみればいい。

そこからすべてがはじまる!!

 

昨日の1枚


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手術の日であろうが2万歩目指してまずは夜明けを歩く。

自分で言うのも変だが、何かかっこいい!笑

 

 

 

 

 

 

 

この社会を支えている存在になる

私はそれほどお金に対して執着心がない。

というより執着しないように努力している。

とは言ってもお金はとても大切なもの。

しかしお金がたくさんあるからと言って、

人は幸せにはなれないことを私は知っている。

逆にお金に執着心が強すぎる人を見ると、

そういう人とは付き合いたくない。

というより嫌いかも。

本当のお金持ちほど、

お金がたくさんあることを人には言わないし、

そういう面を人には見せない。

実際そういう人をたくさん知っているし、

そういう人ほどお金を大切にしている。

人間性も素晴らしい人が多い。

そういう人が私は好きだ。

逆に

一流クラブなどで一晩で大金を使うような人とは、

きっと私は一生縁がないし、

今までの人生でそんな人には出会ったことはない。

この先も出会うこともないだろう。

 

どれだけの日本国民が一生懸命、

最低賃金に近い時給制でがんばっているか。

そんな人たちがいるからこそ、

この日本社会は回っている。

この国を支えている。

コンビニの店員さんがいるからこそ、

いつもで欲しいものを私は手に入れることができる。

だから私は店員さんに必ず店を去る時に伝える。

「ありがとう!」って!

 

とにかく世の中、

金、金、金・・・

の人が多い。

お金は努力した成果として得られるもの。

少なくても私の経営する会社は、

頑張って利益出した社員が報われる会社にしたい。

特に子供がいる社員。

子供のために働いていると言っても過言ではない。

子供は色々とお金がかかる。

部活動や進学・・・

半端ないほどお金がかかる。

そういう社員がたくさん稼げるような会社。

社員全員で利益を追求して成果を出す。

そして得た利益を社員に還元できるシステム。

私が考える会社の在り方とはそこに尽きる。

自分の幸せと共に、社員の幸せも考える。

そういう会社にすることができれば、

私は自分の役割を果たすことができる。

社長とはそれを司る存在であること!

そうなれるために今日一日をがんばる。

 

感謝の共有こそが、

仕事のすべてである。

 

今朝の1枚


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莫妄想(まくもうぞう)

今を見据えて一生懸命やる!

今を大事に生きないとね!

 

おまけの1枚


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住職さん?レレレのおじさん?

上の掲示板を書いているお方。

ロータリー仲間です!

愛されたい人になるより愛する人になろう

愛することは愛されることより、

よほど大切なこと。

BY オードリーヘップバーン

 

昨日は私が愛して止まない仲間たちと、

地元の焼肉屋さんへ。

JC時代からの長い付き合いの人達。

こうして今でも仲間でいれることに感謝。

それにしてもこのメンバーで飲むと話が面白い。

昨日は人間のクズとゲスについての話・・・

今流行っている「香水」という歌に出てくるクズという言葉。

自分はその歌の主人公のクズと一緒だと主張するW氏。

そう言いだしたかと思えば、

今度はW氏以外はみんなゲスだと言い出す・・。

もう手に負えないような馬鹿話の連続。

まあ半分冗談のようで半分本気のような話。

確かに私もある意味でクズでゲスだと感じながらも

楽しい時を過ごすことができた。

 

人間なんて所詮、中途半端でポンコツなもの。

完璧な人間なんてこの世にひとりもいない。

ちょっとしたことで悩んだり、すぐ人を妬んだり、

人の不幸を喜んだり・・・・

まあ悪いことを上げればきりがない。

当然、人間は素晴らしい部分もたくさんある。

それらすべてひっくるめて人間と呼ぶ。

私はそう考える。

私もどうしょうもない不完全人間。

それでも毎日、一生懸命、生きようとする。

少しでも会社を良くしたい。

少しでも良質な人間関係を構築したい。

毎日をとにかく充実させたい。

そんなことばかり考えながら生きている。

なかなかうまくいかないこともある。

そんな時は、空を見上げてみる。

今日も夜明けを歩きながら、

空を見渡してみる・・・。

様々な表情を映し出す空は、

まるで感情を持っているみたい。

この空のようにありのままであること。

心が晴れれば青空、

心がくもれば曇り空。

心が悲しければ雨が降る。

それでいいんじゃないの!人生なんて!

私も、この先そんなに長い人生があるわけじゃない。

時間はこれからどんどん加速して、

死へ向かってまっしぐら!!(笑)

そんな中で

自分が大好きな人と大事な時を過ごす。

人に好かれることを期待するのでなく、

自分が好きと思える人と付き合っていく。

冒頭に書いたように、

愛されるより愛すること。

そこに赴きをおけば、

きっと人生はもっと開かれていくはず。

 

これからも私が愛する人たちと

楽しい時間を過ごしていければ

私の人生に悔いはない。

 

今朝の1枚


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昨日の2枚

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焼肉祭り!23年間通ってるお店

何年経ってもママは若々しい!

 

 

 

 

 

 

 

「足るを知る」を人生のベースとして生きる

先週はゴルフコンペや建設業協会の研修旅行もあり、

自分の仕事が進まなかったが、

今日から心を新たにできる限り、

様々なことを進めていきたい。

また旅行では完全カロリーオーバーしてしまったので、

調整ということで土日を利用してランニングを決行。

昨日は久々に2時間(約17km)走り続けた。

旅行疲れ(飲み疲れ)(笑)、

さらに前の日も結構走ったのでかなり疲れてしまった。

しかし気力さえあれば何とかなるものだ!

体重を絶対増やしたくない!

ただその一心が体を勝手に動かしている感覚だった。

これぞまさしくストイックっていうのかな!

 

さて、毎日2万歩も、

先週200日連続記録を突破した。

先日の旅行ではかなりピンチだったが、

なんとか両日とも2万歩越え。

我ながらよくやるな!

というよりアホだな!と感じた。

ここまでのこだわりを、

もっと違うものに活かした方が得策ではないか。

そんな風に思ったりもしてみた。

しかしながら、継続は力なり!!

これは何事に通じることなので、

これだけはたとえ継続がストップしたとしても、

ずっと日課としてやっていきたいと思っている。

 

今日も早朝から歩いた。

久々に報恩寺の掲示板を見に行った。


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「知足」ちそく

まさしく今私が感じなければならないことだった。

言い方を変えれば、足るを知る。

人間の欲求や欲望にはきりがない。

様々なものを求めようとする。

しかし、今この現状に満足してみる。

それだけでも有難いことだと感じること・・・。

もっと私も大人にならなければならないと思った。

 

昨日1枚


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綾瀬の街並みからの富士山が綺麗だった。

 

 

 

 

 

目標のある人生を何でもいいからつくる

昨日はコミュニティサポートあやせ主催の事業に参加。

副理事長なのに、その役職に担う活動を

ここ数年、積極的にしていない後ろめたさも多少あった。

昨日の事業内容は、SDGsの入門講座。

二回にわたって開催される今回がその1回目。

受講者も予定の25名を上回った。

スタッフもいれれば約40名の参加となった。

SDGsの説明をここでは詳しく書かないが、

簡単に言えば2030年までの期限を設けた、

持続可能な開発目標。

17のグローバル目標と169のターゲットからなる、

2015年に国連で採択されたもの。

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国際規模から末端は企業そして個人レベルでも

積極的にその目標に対して行動していくもの。

このコミュニティサポートあやせの活動も、

17項目の17に該当している。

自分の会社においても、

8項目全般において今後目標を設定していく必要があると考えている。

 

いずれにせよ、綾瀬市民を公募して、

このような事業を定期的に開催しているコミュニティに参加していること、

さらに無償で参加していること、

もう10年以上もそこで活動していること、

これは私にとって非常に価値あるものとなっている。

仕事や他団体の活動の合間にしか参加できていないが、

そこに携わっている人たちとの繋がりが持続できていること、

それが何よりも有難いと感じている。

今後も私が在籍することで、少しでもお役に立てればと思っている。

 

昨日の事業の様子


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国連認定のバッチもいただいた。

見捨てる神あれば拾ってくれる神あり

今年度のわが社公共工事の受注率はくじ引きにはずれ続け、

ここ十数年ないくらいの低落札率。

しかしながら、そんな時こそ正負の法則、

子会社での落札受注が例年になく多かったり、

そして何より民間工事や公共工事の下請工事を

例年にないくらい多くいただいている。

もう3月まで仕事が満杯状態・・・

非常に有難いことであると同時に、

今後どうやって仕事をこなしていくか・・

ここが最もこれからのポイントとなる。

仕事がなくて困るより、

仕事があって悩むことがどれだけ有難いことか、

そこに社員の意思統一ができるか。

忙しいとどうしても人間の心には余裕がなくなってくる。

そういう時こそ、

仕事をいただけることの有難さ、

感謝の気持ちを持てるか、

ここが仕事に対する肝となる。

すべては仕事に携わる人たちの幸せのために、

私はそこを伝えていく立場にある人間。

感謝あってこその仕事。

そこだけは社員一同絶対忘れてはいけない。

 

昨日の数枚


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福島、津波があった海岸にて。

豊かな人間性が仕事を生み出していく。

そのことを忘れずに・・・。

 

時が止まったままの街

昨日今日と建設業協会の研修旅行。

今回は震災で6年間立ち入り禁止区域だった富岡町を視察。

しかしながら、まだ一部が立ち入りできない状態。

10年近く経過しているのに、

あの日から時が止まったまま街を見て愕然とした。

 

原発・・・

本当に必要なものなのか。

震災後、様々な議論が成されてきたが、

無くても人間が生きていけるのは間違いない。

そもそも戦前までの日本にはなかった。

突き詰めれば、

核兵器もいらないし、

原発もいらない。

いらないけど、

それが必要な世界構造になっている。

この矛盾が解決しない限り、

本当の意味での世界平和はない。

 

昨日の数枚


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廃墟な街


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語り部からの説明


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畑の多くがソーラーパネルに!


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復興に向けて堤防が作られている

オリオン座を見ながらふと物思いに耽る

昨日、夜空を見上げるとオリオン座があることに気づいた。

もうそんな季節になったんだなあと思った。

もうそこまで冬が近づいていることを実感した。

今日はそのオリオン座について蘊蓄を語ることにしよう。

 

冬の星座と言えばオリオン座である。

その特徴ある形は我々にとって馴染み深いものだ。

オリオン座の中でひときわ輝いている星は、

ベテルギウス(左上)とリゲル(右下)の一等星コンビである。

ベテルギウスは太陽の直径の700倍~1000倍、

リゲルは太陽の60倍も大きな星だそうだ。

そう思うと宇宙の広大さはほんとうに計り知れないことがわかる。

日本でもこの二つの星を平家星、源氏星と呼んでいる地域もあるという。

オリオン座にまつわるギリシャ神話があるのでここに紹介する。


オリオンは海の神ポセイドンを父にもつ背の高い力持ちの猟師で,

海の上を平地のように歩ける能力を授けられていた。

このオリオンに好意を寄せていたのが月と狩りの女神アルテミスである。

ところがアルテミスの兄で音楽と太陽の神アポロンはそれが気に入らなかった。

ある日,オリオンが頭だけ出して海の中を歩いていたのを見つけ,

太陽の光をあびせておいてから,

妹に「いかにお前の腕でも,あの光っているものは射られまい」と言った。

アルテミスは,それがオリオンとも知らずに殺してしまった。

岸に打ち上げられたオリオンの姿を見たアルテミスは驚き,

名医であるアスクレピウスに頼んでオリオンを生き返らせてもらう。

しかし,黄泉の国をあずかるハデスが黙っていなかった。

それでは死人が来なくなるというのだ。

それを聞き入れた大神ゼウスの雷電により、

オリオンは再び殺されてしまう。

悲しみにくれるアルテミスは大神ゼウスに願い、

自分が銀の馬車で夜空を走っていくとき,

いつでも会えるようにオリオンを星座に加えてもらったという。

ぴんとはりつめた空気が頬に当たる各月の10日前後,

夜空を見上げると,明るい月がすぐ下のオリオン座を見つめている。

 

昨日の1枚

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まさに神話の通りの写真。

泣けてくる・・・。