自分の意見を主張する。
これはとても良いこと。
自分の思っていることを相手に伝える。
これは間違っていない。
しかし、それと同時に相手の意見も聞いてやること。
たとえ相手が自分と違う意見があっても、
それをまずは受け入れること。
人それぞれ生きてきた環境が違えば、
意見や考え方も違って当たり前。
よく私のような仕事をしていると、
自分の意見ばかりを主張して、
相手の意見を全く受けれない人も中にはいる。
そういう人と話すと、
もう二度とこのような方とは話しくないなと思ってしまう。
いわゆる人間の器・・・。
相手の思いや意見をドーンと受け入れてやるくらいの器量が大事。
なぜその人がそういう風に考えているか。
なるほど!こういう考え方もあるのかと納得する時もあれば、
あきらかに何か大事なことに気づいていないのかってこともある。
これは逆の立場になったとしても同じ、
自分が今まで気づかなかった部分を気づかせてくれることもある。
例えば日本を良くしたいという共通な思いが両者ともあるとする。
しかしその良くするための思考や手段がそれぞれ全く違う。
政治的に言えば、左派的立場と右派的立場ではまるで別物。
与党は政治を動かす主流となり、野党は傍観者的立場となる。
しかし本来であればそうであってはいけない。
特に日本の政治は現在、自民党が主流であり、
あまりにもその他野党の力があまりにも弱い。
これでは日本の政治力を根本的に底上げすることはできない。
政権をとらなければ意見が反映されない日本の政治。
だから日本の政治は、相手の揚げ足とりばかり。
与党のスキャンダルを見つけては国会の本会議で、
野党側はそれを糾弾して窮地に追い込むために多忙な時間を消費する。
そして相手にダメージを与え政権を奪取しようとする手法・・・。
正直そんなことばかりに力を注ぐ姿を見てると情けなくなる。
もっと他に議論すべき課題はたくさんあるんじゃないの?
政治は数の世界。数の多い方の意見が通る。
しかしもういい加減、このコロナ騒動を機に、
超党で日本を良くすることをもっと真剣に考えるべきじゃないのか。
もう政治ごっこはやめてもらいたい。
あんなに優秀な国会議員がこの様では情けない。
与党が正しい、野党が間違っている、
そんなことはない。立場が逆になれば、逆もまたしかり。
結局そこに答えがない。
例えば、夫婦別姓・・
賛成意見もあれば反対意見もある。
それを決めるのは政治家なの?
これを決めるのは本当は国民でしょ?
そこを置き去りに国会議員が政治をしている。
そして政治家を選ぶ権利のある国民さえも忘れている。
何のために我々は選挙権を持っているのか。
それはこの国を少しでも良くするためではないのか。
そもそも選挙にも行かないで、
文句ばかり言っている国民は愚直。
話にならない。
だったら、
政治家に頼るだけでなく、
自分の力でできることを探す。
この日本が、
そしてこの世界が
少しでも良くなってほしいと願うのであれば・・。
今自分がすべきことを成していく。
それが希望のある未来をつくっていく。
今日の数枚
先週、近隣市の公園を2時間程歩いてきた。
たまには違う場所を歩くのも新鮮。