tondokoro's willとんちゃんの遺言 

人生の楽しみ方を深く追求していこう!

縁を生かすも殺すも自分次第

昨日の夜は久々に映画を見た。

映画といっても自宅のプライムビデオ。

クイーンのボヘミアンラプソディー。

映画館にも見に行ったが、

家で見るのは初めてかな・・。

改めて見て思うことは、

このクイーンの4人が出会ったことが、

偶然なのか必然なのかということ。

この4人でなければクイーンというバンドは成り立たない。

それが大前提なバンド。

ひとり欠けてもクイーンと言えない。

そんなバンドはそう滅多にない。

ほとんどのバンドがメンバーチェンジしたり、

解散したりしているが、

このクイーンだけは一度のメンバーチェンジもなく、

かつ解散という話はいまだに聞いたことはない。

非常に特殊なバンドであり、

音楽性もまた独自性があり、

他のバンドが真似できるような品物ではない。

私も高校生の時にクイーンにどっぷりハマり、

いまだに聴き続けている音楽のひとつである。

 

さあ、話を元に戻すと、

このクイーンの4人の出会いは、

偶然だったのか、必然だったのか。

私は必然であったと考える。

仏教の世界では、

出来事にはすべて原因があるとされている。

出来事は原因によって持たされた結果であり、

その結果が次の原因となり、

また新たな結果を生み出していく。

これを仏教の世界では因縁という。

縁とは目に見えるものではないが、

もし見えるとするならば、

それは人と人の出会い。

過去の祖先の時代から

様々な出来事の結果が組み合わせって、

自分という存在が生まれてきた。

これこそコンピューターでも解析できないほどの奇跡。

どれだけの条件が積み重なって、

自分という存在が生まれてきたことか。

この奇跡に、さらに奇跡を組み合わさって、

人と人の出会いが生まれる。

今自分の周りにいる人達との出会いはすべて、

奇跡の産物ともいえる。

しかしそれを私たちは奇跡と呼ばず「縁」と呼ぶ。

縁があったからこそ出会うことができた。

 

人との出会いをすべて偶然の産物として捉えるよりも、

生まれた時から人間は宿命を背負い、

それが縁によって結ばれていくという考えの方が、

私にはピンと来る。

必ず人は出会う人に出会えるように、

あらかじめこの世の中はできている。

そう考えた方がどこか合致できる。

その根拠が必ずあるとは言いきれないが・・。

 

クイーンというバンドの楽曲の数々。

これは偶然生まれたものではない。

あの4人の必然的な出会いが約束されていたからこそ生まれた音楽。

そう考えた方が自然に感じる。

 

そして自分の人生においても考えてみる。

今、ここに存在するすべてのものは縁があってのこと。

決して無駄なものは一つもないのかもしれない。

しかし縁というものはまるで生き物みたいなもので

生かすも殺すも自分次第。

宿命は変えられないが、

運命は変えることができる。

運命を変えるには自分自身が、

人との出会いや縁を自分の人生にどう活かすか。

そこがすべてではなかろうか。

だからこそひとつひとつの出会いを大切にしてみる。

昨日はじめて名刺交換した人が、

もしかしたら将来、

あなたの人生を劇的に変える可能性がある人かもしれない・・。

すべては人からはじまる。

さあ、まずは心を開いてみよう!

 

昨日の1枚


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夕方の大山が綺麗。近々必ずそこに行きますよ!