ある有名な方が言っていた。
「迷い」とは「余裕」から生まれる。
時代によっては、人が何かに「迷う」という選択肢などなく、
強制的に政治支配されていた時代がほとんどであった。
これは過去の歴史が物語っている。
例えば日本における戦争当時を考えてみても、
お国の命令に国民は従うしかなかった。
戦場へ行けと言われれば行かざるを得ない状況。
国民の選択などそこはなかった。
すなわち迷っている余地などなかった。
今は時代が変わり、
現在は民主政治が行われている国家がほとんど。
中には中国や北朝鮮みたいな独裁的な政治が行われていて、
いまだに人生の選択肢が限りなく制限されている人達もいるが
大半の人々が自由に生き方を選択できる時代となった。
そんな中で、
自分の人生をどう生きるべきか。
それについて迷った経験が誰にもあるはず。
そんな中で、
迷うということを否定的に考えるのか、
それとも迷えるだけの余裕があると肯定的に考えるのか、
この違いでずいぶん迷うイメージが変わってくる。
迷えるだけの余裕が人生にはある!
迷ったあげく自分の意志で生き方を決めることができる。
そう考えれば迷えることに感謝できるようになる。
私はそう思いたい。
強者が弱者を痛めつけてきた人類の歴史。
今も尚、その人類の習性は、
昔とは形を変えながらも存在している。
これは決してなくなることはない。
そこからの脱却。
この世は理不尽なことがやたらに多い。
そんな世の中で迷いながらも自分の生き方を模索していく。
強者でもなく弱者でもない生き方。
それこそが自由な生き方だと私は思う。
そんな生き方ができればどれだけ人生は素晴らしいことか!
さて今日はどんなことに迷ってみようか!(笑)