tondokoro's willとんちゃんの遺言 

人生の楽しみ方を深く追求していこう!

哲学を学びながら生きる

人間は生きていくうえで、

様々なことを考えていく。

哲学的なことも時として考えることがある。

人間はどう生きるべきなのか。

何のために生まれてきたのか。

何が正しくて何が間違っているのか。

などなど挙げたらキリがない。

その哲学的な考えから、

真の答えを導き出していく者。

いわゆる哲学者という人物が歴史上たくさんいる。

紀元前の時代から哲学を追求してきた人間。

哲学とは主義主張、そして終わりのない旅のようなもの。

その哲学を今を生きる我々が学ぶことは、

人類の歴史を紐解くひとつの鍵となる。

というわけでこの私のブログでの主義主張も、

私自身の哲学と捉えることもできる。

自分がどう生きるべきか、

その方向性を確立させていくために考える。

50歳過ぎても考える。

いや年を取れば取るほど、

それを考えて行かなければならないのかも・・。

私の飽くなき真理追求の旅は終わらない。

 

そういえば30才くらいの頃書いた即興詩で、

人間とは何かをテーマに書いたことを思い出した。

当時の私は世の中に絶対的な真理などないと考えていた。

すべては自分がこの世界を、

相対的につくりあげていくものと考えていた。

さて今はどう思っているか・・・。

その前に私が20年前に書いた即興詩をコピペする。

 

  ◆human being◆

形のない存在
哲学とは何か
真理の追求
そこに答えはあるのか
その答えを見出した
哲学者など存在しない
真理が存在しないように

形のない存在
幸福とは何か
どこに行けば
幸福は存在するのか
ありもしないものを
必死で追い求めようとする
それは不幸のはじまり
幸福とは自分で創り出すもの

形のない存在
人生の意味とは何か
ありもしないものを
必死で追い求めようとする
人生に意味などない
自分で理由づけるもの

形のある存在
人間の存在とは何か
何のためにこの世に生を受けたのか
答えがあるなら教えてほしい
だた言えることは
それがわからなくても
人間は生きなければならない

命という存在が
生きようとさせる
体に傷を負えば
真っ赤な血が吹き出す
それが生の証明
傷口は空気に触れ
自然と治ろうとする
それが人間というもの

 

 

という詩である。

もう20年前なので私がどんな気持ちで書いたか、

ほとんど覚えていない!(笑)

でも自分がいまこの世に存在している。

これだけは間違いない事実。

それが不完全なる人間であろうが、

存在していることだけは事実。

そして我れ思う・・・ゆえに我あり?(笑)

というわけで、今日のブログはオチをつけるのが難しい!(笑)

哲学についてはこのブログで今後も語っていく。

 

今日の1枚

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