tondokoro's willとんちゃんの遺言 

人生の楽しみ方を深く追求していこう!

ありのままの自分の姿

このブログは自社のホームページにリンクしている。

よって自社の経営者である私が毎日ブログを更新し、

HPに訪れてきて、ブログを見てくださった方に、

少しでも役にたてばという思いで、

私なりの表現方法で書いている。

時にそれにふさわしくないことも書くかもしれないが、

基本、人生をより充実させるためにはどうすべきか、

それをテーマに書いていることをまずもって理解していただきたい。

それと同時に私自身もこのブログを書き続けることによって、

常に前向きに何事にも取り組んでいける人間になりたいと願っている。

 

話は変わるが皆さんは

ありままの自分を曝け出せる相手がこの世にいるだろうか。

この「ありのままの自分を曝け出せる」とは、

自分のすべてを受け止めてくれる人がいることを前提とする。

普段、我々は自分のすべてを他人に曝け出すようなことはほとんどしない。

相手によって自分の本当に思っていること言わなかったり、合わせたり、

上下関係により余計な気遣いをしてみたり、

仕事関係では仕事と割りきって付き合ったり、

相対する人によって自分の装い方を変えていく。

これはこの社会を生きていくうえでは当たり前のこと。

家族にさえも、ある程度の気を使いながら生活するのが当たり前な時代。

そんな人間関係の中で唯一本当の自分を曝け出せる、

つまり、自分の心の底から思っていること、

自分の弱ささえも理解してくれる人、

お互いにそれらを言い合える人が果たしてこの世にいるかどうか。

そういう人が私は人生の中で、

ひとりでもいてくれたらいいなと感じている。

しかし残念ながらそういう人はなかなかいないものだ。

大親友と呼ぶような人がその類に相当するのかもしれないが、

残念ながら私にはそういった大親友はいない。

だから常に自分の中にどこか「孤独」というものがつきまとう。

しかし、その孤独感が癒される瞬間が時としてあることも事実だ。

それは自分をすべて曝け出さずとも、

どこか一部でも心が通じ合っている感覚を相手の心の中に見出した時、

あっ!この人とは共鳴しているなと感じる。

それだけで心が癒される。

すべてが自分と同じ感覚の人はこの世にいない。

いないからこそ、心が共鳴する部分を大切にしたい。

共鳴するものがあればその人との距離は少し近く感じる。

そんな積み重ねが自分を徐々にありのままに曝け出すことに近づいていく。

一見メンタルがめちゃ強そうな人がいるが、

絶対的な強さなど人間にあるはずがない。

人間の心は裏表一体でひとつになっている。

心の強さの裏に心の弱さも必ず持ち合わせている。

つまり誰もが繊細な心を持ち合わせているということ。

そこを理解すること。

人間の心の不完全さ。

その不完全さを受け入れる。

人間はそんなに強い生き物ではない。

時として脆く崩れ落ちていくこともある。

それを理解すること。

そうすればきっと人は人を受け入れることができる。

お互いの脆さも認め合うこと。

そして大事なのが、

そこから自分を奮い立たせていくこと。

自分を成長させていきたい気持ちにシフトさせていくこと。

そこをお互いに共有していければ、

きっと素晴らしい人間関係が築けるようになると私は信じている。

 

今朝の日の出。


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この日の出を隣で一緒に見てくれる人がいればさらにいいね!!