tondokoro's willとんちゃんの遺言 

人生の楽しみ方を深く追求していこう!

あなたのいない世界

映画「イエスタディ」を見てきた。私的にはなかなか面白かった。

ただビートルズファンか、ファンじゃないのかではずいぶん見方が変わると感じた。

あらすじを簡単に言えば、地球上すべてで発生したわずかな停電の間に、

売れないミュージシャンである主人公以外の人類からビートルズという

バンドの記憶が消え去られてしまった。

その主人公は覚えていたビートルズの楽曲を自分の作った歌として歌い、

世界的に有名になっていく!そしてその先にあるものは・・・という物語である。

映画内容的には随所にビートルズの楽曲が聴けるし、主人公の演技も良かった。

それよりも私が思ったのは、ビートルズの歌が存在しない世界の寂しさである。

これは、人が運命の人に出会わずして、その人生を終えてしまうような感覚である。

ビートルスを知らない、興味がない人にとっては

この世にビートルスが存在しようがしようまいが関係がない。

でも子供の頃からビートルズに親しみを感じてた私にとって、

ビートルズが存在しない世界はちょっと考えられないし、

それによって私の音楽に対する興味や考え方も変わっていたと思う。

それよりも、この世に有るものに対してそれを知らず、または知ろうとせずに、

生きることはどこかさびしいと感じた。

人は生きていれば色んな出会いもあれば別れもある。

そんな中で一番大事なことは

人と出会うことよりも、人とどう関わりあうかではないだろうか。

愛情、親しみ、友情・・・・

それを表現することの素晴らしさと表現できないことの寂しさ。

どうせ生きるならば・・・。

 

ネタバレなるから言わないが、

物語途中で登場するある人物が語ったひとつの言葉の中に

この映画の本質(主題)や人の幸せとは何かを垣間見ることができる。

その答えを知りたければ映画を見てね!

 

 

 

なりたい自分になる

なりたい自分になる。 BYとんどころ

 

私ももう来年で50歳。人生の折り返し地点はとっくに過ぎている。

そんな中で、今自分がなりたいものとは何かを考えてみる。

それは、なりたい自分になるということ。

もっと詳しく言えば、自分がなれる可能性のあることはやってみよう!ということ。

仏教の世界では、諦めることは明らかにすることであるという。

諦めるとは決して後ろ向きな言葉ではなく、

諦めることにより、自分がなれる可能性があるものを明らかにするという意味。

これは非常に現実的であり、現実的なものを受け入れ、そこに価値を求める。

今はできてないことでも、努力すればできること。

今自分になくても、気持ちを切れ返れば手に入れることができるもの。

そんなに背伸びをすることはない。

なんせ人生折り返し地点はとっくに過ぎている。

どうあがいても、自分のできることは限られている。

その中で、やれることはやっていく。

そしてなりたい自分になる。

自分らしさ。もう、そういう生き方でいいんじゃない。

でも今より少しずつレベルアップしていきたいよね!?

そんな楽しい気持ち持つこと。

楽しむレベルをあげていく努力はきっと苦ではない。

さて今、自分がなりたい自分とは・・・

まず手始めに増毛でもしてみようかな!笑

 

人生暇つぶし

人生暇つぶし  BYみうらじゅん

 

人はひとりで生まれてきて、いつかひとりで死んでいく。

命を宿った瞬間、無は有となり、死ぬ時、また無に戻る。

もともと無であった物が、今、ここに有である意味。

おそらくその意味は、そんなたいしたことじゃないと思う。

ならば、もともと無なんだから、有であることを楽しむ。

有はいつかまた無に戻るということを知りながら生きる。

そんな生き方ができれば有であることに価値を見出すことができる。

 

自分の存在に色んな形で有であることを示しながら生きる。

××会社の社長の〇〇さん。

××クラブの会長さんの〇〇さん。

××ファンの〇〇さん。

××家のお父さんである〇〇さん。

××マニアで有名な〇〇さん。

一体自分にはどれだけの有として〇〇という顔があるのだろうか。

そこに生きる存在として、有であること見出して生きることがすべてなのか。

反対に・・・

ほとんど誰も自分を知らない。誰も自分に気にかけない。誰からも愛されない・・・

はたしてそれは有と言えるのか・・・

しかし、それもまた有であると私は思う。

他人との対象としてでなく、自分が存在していることを実感できる生き方。

それって簡単なようで難しい。

でもそれが正解なのではないかと私は思う。

 

もともと無いんだし、いずれ無になるんなら、

有である間、そこを何かで埋めていけばいい。

それはできれば楽しいことが多い方が良い。

苦労は買ってでもしないさい!とかよく言う。

だったら苦労を楽しめる人間になればいい。

そんな発想で色んなものを埋めていく。

限られた時間の中で埋めていく。

まるでゲームをするかのように埋めていく。

それが私の考える「人生暇つぶし」への解答とする。

常識の裏の裏

常識の99%はウソである BYホリエモン

 

ということで私が携わっている土建業の常識を疑ってみることにしよう。

二昔前は談合が当たり前だった土建業。しかし時代は変わった。大手ゼネコンは時代の狭間の中で談合と競争を繰り返し、バレて指名停止になったり、停止が解けてはまた競争と談合・・・その繰り返しである。そもそもゼネコン(元請)が公共工事を談合なしでやること自体、疑ってみる必要があるのではないか。入札は競争かつ公正にという常識。この常識により、日本の多くの中小企業の土建業者が潰されてきた。ゼネコン(元請)が競争して低価格で落札したら、そのしわ寄せがくるのはいつも下請の中小企業だったのだ。つまり談合なしの価格競争は、生き残りサバイバルゲームみたいなもんだった。傍観者は入札競争は必要だという。しかし当事者は生死をかけた争いである。特に数年前の民主党時代は酷かった。コンクリートから人へ・・・・まさに人をコンクリートで固めて殺すような政策だった。しかしここ数年、安倍政権に変わり、労務単価が格段とあがり、工事の経費率もあがり、低価格競争であっても、落札できれば一定の利益を得れるまでに回復してきたのは間違いない事実である。しかし、まだまだこの業界は問題山積みである。外国人に頼るほどの深刻な人手不足、若者の肉体労働離れ、労務の高齢化、地域による格差、くじ引き(運)による落札者決定・・・。土木業でも十分な給料が得れるための国として対策が必要である。それでも談合は悪で、競争を強いられていくのか。そろそろ談合は悪だ!価格競争が必要だ!という常識を打ち破っていかなければならない時代に突入したと思うのは私だけだろうか。頭を使う人だけが高収入を得る時代よりも、体を使う人でも負けないくらい多く稼げる時代にしなければならない。(つづく)

忘れ去られていた行間

先週日曜日、TVドラマの「あなたの番です」が最終回となった。私が連続ドラマを見るのは1年に2本くらいであるが、このドラマは本当に面白かった。最終回まで黒幕とされる犯人がわからない展開は見事であり、SNSなどでこのドラマの考察が盛んに行われるほどであった。考察も、ものすごい奥深く考え抜かれたものも多く、ここまでやるんかい!というものがあった。ドラマはシナリオ、演技された以外の部分は存在しない。しかしこのドラマは、その演技されていない部分までもが考察されるという、異例なものが多かった。いわゆる行間を読むという行為である。行間とは想像力であって、この想像力を掻き立てることができる作品こそが傑作とされていることが多い。たとえば私の大好きな百人一首。これも、そこに書かれた言葉の中から、それぞれがその詩の意味を紐解こうとする。そこには時代背景があり、詩をつくった人の感情や人生観があり、その意味をすべて理解できるわけではない。それを我々は想像力を使うことによって、その詩に付加価値を見出す。これが教育というものだと私は思う。


目の前に映るもの。他の人の言動。SNSでの個人への批判、マスコミが伝えるもの・・・。これらはある一面からしか物事を捉えていない。何が正しいのか、間違っているのか、その裏側には何があるのか、決して答えはひとつではない。たとえば私を良い人と思う人がいれば、悪いと思う人もいる。つまり世の中にははっきりと見出せる答えなど何ひとつない。あるとすれば真理のみである。この真理の追究こそが教育であると私は感じる。物事を多角的に見れる能力を養うということである。

 

あなたの番ですのラストシーンは、また謎が多いシーンであった。そのシーンに続きはないと私は思っている。あとは我々がシーンに対して想像してみることが大事なのだ。このラストシーンの続きのシナリオをつくるのが、あなたの番です!ということではないだろうか。

心に響く

連休が開け、今日からまた新たなるスタートとなる。

真の意味で令和の時代のはじまりの日である。

このブログもまた私のライフワークのひとつである。

ということで今日は私の人生において

生涯役に立つであろう仮面ライダーカブトでの

私の心に響いた名言ベスト6を記しておこう。

 

 

子供の願い事は未来の現実 それを夢と笑う大人はもはや人間ではない

 

同じ道を行くのはただの仲間にすぎない 別々の道を共に立って行けるのは友達だ

 

本物を知る者は偽者には騙されない

 

人のものを盗む奴はもっと大事なものを無くす

 

他者のために自分を変えられるのが人間だ 自分のために世界を変えるんじゃない 自分が変われば世界が変わる

 

人は人を愛すると弱くなる けど恥ずかしがる事は無い それは本当の弱さじゃないから 弱さを知ってる人間だけが本当に強くなれるんだ

 

言霊

本日より令和に元号が変わりました。

天皇のはじまりです。

そして

平成天皇、本当にお疲れ様でした。

平成天皇は国民の象徴ではなく、

日本人の誇りです。

 

令和という時代がより良くなるための七つの言葉を

今日は列記しておきます。

これは斉藤一人という人の言葉ですが、

この七つの言葉を毎日に口に出して言うことにより、

自分の心が浄化されていくと私は信じてます。

日本には昔から言霊という言葉があります。

言葉の力が自分を変える。

そして行動が変わる。

そしていつしか世界が良い方向に変わる。

自分という小さな存在が変わらない限り

世界は1mmたりとも動きはしません。

だからこそまずは言葉にしていきましょう。

 

斉藤一人の天国言葉

 

愛してます

ついてる

うれしい

楽しい

感謝します

しあわせ

ありがとう

ゆるします

 

 

良い人とは

私は平成最後の本日を持って、良い人っぽく生きることをやめる。

良い人と感じるのは他人から見た自分に対する感じ方であって

本来の自分のあるべき姿とは異なる。

良い人と思われて生きること。

そこに何の価値があるのだろうか。

そこには実は何もないと最近感じている

だから私は他人から良く思われるために生きることをやめるのだ。

 

人の評価に左右される人生はもううんざりである。

良い父親になる

良い社長になる

良い友達になる

良い旦那になる

・・・・・

そう思うこともやめた。

なぜならば、それを決めるのは自分ではないからだ。

つまり、他人が決めることに左右されない生き方をすること。

私は誰の物でもなければ、

私が誰かを自分の物にする必要もない。

自分の子供でさえ自分が思うようにできる存在ではないのだ。

ただ言えることは私は誰も傷つけたくないし、

誰からも傷つけられたくない。

人と人の距離は腹六分目くらいがちょうど良いと言われている。

その距離感こそが、人と人が長い間付き合っていくにはちょう良い。

 

良い人になるのではなく、

ちょうど良いくらいの距離感をもって互い接することができる人になる。

地味な生き方かもしれないが、

それが人生を充実して生きていく最大のコツなのかもしれない。

なぜそんなこと最近思うのか・・

それは私が

感情が理性を支配するような生き方だけはしたくないと思うからだ。

感情を抑える理性を兼ね備えてこそ自分の成長に繋がっていく。

まさにレベルの高い境地と言えるかもしれないが、

実はそれが一番気楽な生き方なのかもしれない。

でも気楽に生きるってそんなに簡単にできるもんじゃないね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岐路

昨日は法人会青年部会の総会があった

ここでしか会えない人と会えるチャンスがある場所

今回は懇親会締めの挨拶をやらせてもらった

自分の法人会に対する優先順位をあげていく話をした

その会を楽しくさせるのは自分次第という話もした

私のひとつの目標として

今年度は昨年より少しは多く参加してみよう!

 

限られた時間の中で

どんなことにその時間を使っていくか

その使い方次第で人生は変わる

常に自分を成長させるために私はその時間を費やしたい

だから色んな人と会って話しをしたい

そこから何かが必ず生まれる

自分の視野をもっと広げていこう!

そう決めた人生だからこそ

だから

もう過去に囚われる人生に終止符

 

 

 

日常五心

日常五新(大愚和尚のYOUTUBEより)

 

はい!という素直な心

おかげさまで!という謙虚な心

すいません!という反省の心

私がします!という奉仕の心

ありがとう!という感謝の心

 

素直 謙虚 反省 奉仕 感謝

 

これは日常の中でもっと大切であって

もっとも忘れやすい・・・

これがすべて実行できるような人になりたい

まさに日々弁勉強である

 

人生のゴール?

未来を恐れず

過去に執着せず

今を生きろ!

 

数年前にホリエモンがある大学の卒業式で言った言葉である

いい言葉である

 

とかく人は

未来への不安を抱き

過去のことをいつまでも引きずり

今をちゃんと生きることができない

 

しらないうちにどんどん時は過ぎていく

気づけば私ももう48歳・・・

人生の経過する速さを実感すると共に

これからもっと加速していくのは間違いない

あっという間に人生が終わることは間違いない

 

人生の終わりをゴールとするならば

我々はそのゴールのために生きているわけでなはない

死ぬために生きているわけではない

私はもっと違うゴールをつくっていかなければならない

まだまだ限られた時間を有意義に生きなければならない

何のために自分がこれから生きていくのかを

それを改めて考えてもいいのではないか

私には人生においてこれといったビジョンはないが

自分が残りの人生どうあるべきかを知っている

それを実現するために

いつまでも夢をもって

その夢にむかって挑戦できるような人間になりたい

そのために・・・・

 

未来を恐れず

過去に執着せず

今を生きろ!

 

そう胸に刻んで生きよう!

 

 

人生とは仕事である?

会社だけの人間になるな!

人生を楽しめ!

色んな人と会え!

世界を広げろ!

そういう積み重ねが良い仕事をつくる!

 

昨日放映のドラマ 「わたし、定時に帰ります」

で主人公が会社の社員研修で学んだ社長の言葉。

 

なるほどね!

昔と今では仕事のあり方は

ここ数年でずいぶん変わってきたけど

仕事の根本は変わらない

私はそう思っている

働き方改革といわれる世の中で

これからを生きる日本人がどうなっていくのか・・

どんな改革であろうが

仕事への直向な気持ちだけは忘れてはならない!

そう感じる今日この頃である

幸せになりたい?

人はどうしたら幸せになれるのか

そんなことを誰しもが考えたり

自分の幸せについて考えてみる

その答えはどこにあるのか

それは正直わからない

昔、ブルーハーツ甲本ヒロト

幸せを手に入れるんじゃない

幸せを感じることのできる心を手に入れること

という言葉を語った

これは幸せのあり方が

どうあるべきか非常にわかりやすい言葉だ

であるとするならば

幸せは常に自分のすぐそばにある

何をもってすれば幸せを感じるのか

たとえば大好きなカップラーメンを食べたとき

それだけで幸せを感じることができる

好きな人と話をする

それだけで幸せを感じることができる

ちょっと考え方を変えるだけで

幸せは我々の日常の中にたくさんある

生きていれば嫌な事だってたくさんある

しかしそれ以上少しでも幸せを感じれれば

プラスマイナス0もしくはプラス1くらいになれば

それはそれでいいんじゃないくらいの生き方

そんな生き方がその人にとって実は真の幸せだったりする

だから私は幸せの定義を敢えてつくる必要はないと感じる

結婚すれば良いこともあるかもしれないが

実際、そんな良いことばかりあるはずもない

結果プラスマイナス0もしくはプラス1

であれば御の字じゃない?

結婚して幸せを手に入れたい・・・

そんな言葉 私にはちょっとチープに感じる

どんな状況であれ境遇であれ

ちょっとした日常の中に幸せを感じたい気持ち

そんな気持ちを持つことが人間の生きる喜びなのではないか

だから私はお酒がやめられない・・・笑

究極は人の幸せを願える心を持つこと

その話はまたいつか・・

 

 

正直者は世間知らずのバカ野郎

この世のほとんどは嘘である

この嘘だらけの世の中から本物を見つけていかなければならない

これぞまた人生ゲームの醍醐味である

先日あまりにも正直な私の健康診断書を保険会社に提出してしまい

結果私の会社に大損害を与えてしまった

私の健康診断書は高度な人間ドックの結果がそのまま書かれていたため

体の隅々細かいところまですべて結果が書き記されており保険会社では

完全アウトとなってしまい保険金の掛け率がかなり上がってしまった

ごく普通の保険会社用のそこらへんお医者さんの健康診断の結果であれば

100%問題なかった結果だったものが

こと細かい診断結果ではアウトということになる。

つまりほぼ私のような健康な人でも超最新精密検査の結果となれば

半分病人扱いアウトということになる

体に全く問題ない人なんてそんないるわけがない

まして40代後半から50代にかけては何かしら体に問題ある

それは普通の健康診断だけでわかるはずがない。

逆を言えば私の診断書は体の中にがん細胞や今すぐ何か悪くなうような

結果などないことを見事に証明しているもっとも信頼できる診断書なのだ

 

それに気づかない保険会社は無知である

保険を通すために作成された

そこらへんの町医者の簡単な診断結果を信じる

保険会社こそこの世の嘘を社会に撒き散らしている存在のひとつなのだ

 

正直者がバカをみる

ほんと私はバカだった

無知だった

あんな診断書を出すべきではなかった

嘘つきには嘘で勝負するべきだった

 

世の中の本物を見つけるって大変なことだ

またひとつ勉強になった

レベルアップ!

人を簡単に信用してはいけない

 

 

 

人生ゲーム

 

人生はゲームみたいなもんだ。

プレイヤーは自分

自分のコントロールキーを使って

自分自身を動かしていく

ファイナルファンタジーより壮大?なロールプレイングゲーム

しかしゲームには目的を達成させる必要がある

すなわちそのゲームを最終的にクリアするためには

目標は自分自身が設定させなければならない

すなわち何に向かって自分は生きてくのか

そこに向かうにはどう生きるべきなのか

つねに迷い葛藤しその節目にある答えを見出し

次のステップに進んでいく

そこには苦しみもあれば楽しみもある

苦しみだけでは人間は生きられない

楽しみだけでも人間は生きられない

つまり苦しみと楽しみは表裏一体なのだ

ゲームでいうならば自分をレベルアップさせていかないと

次のステージにはいくことができない

そんな面白さこそがゲームである

だから人生はゲームみたいなもんだ

というより

ゲームのように生きるべきである。

最終的に自分の人生が終焉を迎えるとき

そこに微塵たりとも悔いのないものと言えるか

精一杯生きたと言えるのか

まだそこにたどりついていない私は

まだゲームの途中である

自分のレベルが今いくつかはわからないし

自分の立っている位置が正しい場所なのかもわからない

ただひとつ言える事は

このゲームを楽しむことだけ!

楽しくやるからこそどんな困難が待ち受けても

人間は再び楽しく生きようと無意識に行動していくもの

まずは自分の今立っている場所はしっかりと確認し

次に右にいくのか左にいくのか決めていくこと

もしかしたらゴールはひとつだけではないかもしれない

この人生ゲームに同じゴールはどこにもない

自分の心ひとつでゲームは進展していく

これほどのゲームを楽しむことは

50近くのおっさんでもまだ遅くはない

この命果てるまで何かを成し遂げるために

今この時間を一番大切に生きることが

このゲームの必勝法であるのは間違いない